はじめに─「ストリップと法」の関係性を問う─

 このブログでは、法学を専門的に研究している管理人が、ストリップ劇場に関係する法的な問題の整理と情報の提供をしたいと考えています。

 私はもともと、「性風俗と刑事規制」の問題に関心を持ち、これに関する研究に携わってきましたが、ストリップ劇場の実情については、劇場を実際に訪れるまでほとんど無知の状態でした。それどころか、正直に言うと、ストリップ劇場が日本に現存していることすら、きちんと認識しておりませんでした。

 あるきっかけで、ストリップ劇場が日本にまだ存在していることを知り、また、以上のような研究に携わっていることから、劇場に足を運ぶことになりました。そこで、初めて見た「別世界」の光景を私は今でも忘れていません。全身に電流が走るような感覚に襲われるとともに、理由も分からず涙が止まらなくなる自分がそこにいました。

 その後、ストリップ劇場の数が現在も減り続けており(本記事執筆時22件)、ほぼ「絶滅寸前」の状態にあることを知りました。その原因としては様々なことが指摘できます。例えば、インターネット等を通じて、「ハダカ」をいつでも簡単に見ることができるようになったために、「ハダカ」の価値が下がったことは、つとに指摘されている通りです*1。もちろん、ストリップ劇場の魅力は、単に「ハダカが見られる」などということに全く尽きないわけですが、ここではその話を置いておくことにします。

 ここで私が問題としたいのは、「法律」がストリップ劇場の衰退に追い込んでいるのではないかという点です。過激な出し物を売りにしていた大阪ストリップ(いわゆる「OS系」)が、相次ぐ摘発により衰退した歴史はよく知られていますが、多くの劇場がエンターテインメント性の高いショーを中心とした興行に移行した現在でも、摘発の恐怖から免れているとは言えません*2。こうした事態に対して、これまで大きな「異議」は唱えられてきませんでした。しかし、現在のストリップ劇場に、国家が刑罰を背景として規制するだけの有害さが、果たしてあるのでしょうか。大した根拠もなく、劇場の活動を萎縮させているとすれば、それは「法」の傲慢であり、「法律家」の怠慢の結果であると言わざるを得ません。

 そこで、ストリップ劇場に関係する法的な問題を整理し、「ストリップと法」のあるべき関係性を明らかにしたいと考え、本ブログの開設に至りました。このブログが、ストリップ「絶滅」の波に抗うための一助となれば誠に幸いです。

 

 

*1:例えば、失われていく「ハダカ」の価値【ストリップ劇場】|東京ノスタルジック百景 シーズン2 ~今見ておきたい昭和の風景|フリート横田|cakes(ケイクス)を参照。

*2:近時でも、西日本最大級のストリップ劇場である、東洋ショー劇場が摘発されたことは記憶に新しい(https://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/53099/)。