「女性限定公演」の可能性と展望

1.本記事の目的

 ここ数日、ストリップの常連客の間で賑わいを見せている話題がある。それは、ストリップ劇場で、女性客限定の公演を行うという「女性限定公演」のアイディアについてである。ストリップ客の反応の中には好意的なものも多いが、中には、反対の意見もあり、やや議論がエスカレート気味というのが現状である。

 無論、ストリップの将来をめぐり白熱した議論が行われること自体は歓迎すべきことである。しかし、白熱のあまり議論のすれ違いが起こり、無用ないがみ合いが起こることは誰の得にもならないであろう。不用意に「溝」を深めるようなことを避けるためにも、このテーマをめぐる論点の所在を整理することが必要であるように思われる。

 そこで、本記事では、この問題に関する筆者の賛否は留保しつつ、ツイッター上での議論を分析の素材として、「女性限定公演」をめぐる論点の整理を試みたい。

2.「女性限定公演」のニーズ?

 最初に確認が必要なのは、「女性限定公演」というアイディアに対する女性客の反応が決して一枚岩ではないということである。そのような公演への期待を示す女性客も存在する一方で、その必要性に疑問を示す女性客も少なくない。

 また、もともと、このアイディアは、女性限定のストリップファンオフ会で示されたものであるが、その主催者である高崎美佳さんも、これを「あったらいいなくらいのご要望」であり、「『宝くじ1枚買ったしこれで1億円当たっちゃうかも楽しみだな〜!』くらいの熱量」であると評している*1。したがって、「女性限定公演」の構想が、女性客全員の確固たる総意であるかのように考えるのは、早とちり以外の何物でもないであろう。

 もっとも、全員の総意ではないにせよ、そうした要望が示されたことは、無視できない事実である。そして、そのような要望の背景に、一部の男性客による迷惑行為への恐怖や不安が存在することは看過すべきではない。そこから一足飛びに「女性限定公演」をすべきということにはならないが、全てのお客さんが安心して観劇できる環境づくりは、とりわけ女性客が増えている現在のストリップにおいて、引き続き重要な課題となるように思われる。

 3.現実面での検討

 「女性限定公演」の可能性を考える場合、まず、そのような公演を行うことによる運営・収益への影響というリアリスティックな検討が求められるだろう。その検討の必要性について、いち早く指摘したのが、「ピンク映画界の女王」でもある倖田李梨さんである。

 倖田さんは、成人映画の女性限定の上映の企画を出したという自らの経験をもとに、集客の可能性などの懸念について指摘を加える。そして結論的には、「ストリップとピンク映画は似て非なるものだから違うと思うけど、かなりの動力が必要というのは同じ」であるとして、限定公演の「難しさ」について説く*2。ご自身の経験に裏付けられている分、説得力と示唆に富む指摘である。

 集客面の問題は、劇場経営の根幹に関わるため、現実的にはもっとも重要な関心事となろう。確かに、女性限定公演を平日の1回目公演など、限られた時間帯に開催し、それ以降は男性客の入場を認めることで、集客のマイナスを食い止めるということは十分に考えられる。しかし、そうなると、せっかく女性限定公演を実現したのに、肝心の女性客が(時間的な都合により)集まらないという本末転倒の事態になるおそれもあるし、男性客の方も、特に「プンラス勢」は、その日の来場を避けてしまう可能性が高いように思われる。

 また、告知面でも問題は生じうる。ツイッターを使いこなしている常連客はともかく、ストリップの客層の中には情報機器の使い方を知らない者も多く含まれているだろう。もちろん、この情報社会のご時世で、ホームページをきちんと確認せずに来る方にも落ち度があるとは言えるかもしれないが、何も知らずに来場して門前払いされた者の反感は買ってしまうことになる。

 それ以外にも、運営・収益面での問題は多く存在すると思われる。無論、私は劇場のマーケティングに関する正確な情報を入手できる立場にはないので、実際にどれほど集客面での影響があるかは知る由もない。この問題は、最終的には、劇場経営者が、専門的な経験と知識を生かして、見通しを立てていくべき問題であろう。

4.ストリップ興行のあるべきかたち?

 この「収益が見込めるか」という現実面での検討とは別に必要なのが、ストリップの未来の理想的なかたちを見据えた規範的な検討である*3。すなわち、仮に収益を見込めるとしても、ストリップ興行のあるべきかたちとして、女性客限定の公演を行うことが相応しいかどうかという、価値判断を含んだ問題に取り組む必要がある。

 「女性限定公演」というアイディアに反対の意見の多くは、この規範的な問題と関連している。例えば、私が目にした意見の中には、「今まで劇場を支えてきたのは男性であるという伝統がある中で、男性抜きの公演をするべきではない」というものが見受けられた。ここでは、伝統的に維持されてきたストリップの「かたち」を(部分的にであれ)「改変」してしまうことへの「拒否感」を看取することができる。

 ただし、こうした意見は全く理解できないわけではないものの、やや根拠薄弱の感がある。そもそも、伝統はあくまでも過去のものであり、未来への修正や改変の一切を拒む絶対的な論拠とはならない。また、「女性限定公演」のアイディアは、なにも劇場から男性を完全に排除しようなどという極端な話ではなく、時間帯を限ったささやかな試みとして発案されたものである。これを伝統への「改変」として拒絶することは、些か過剰な反応であろう。

 より悩ましく思われるのは、「女性限定公演」により、男性嫌悪のメッセージが生じることへの警戒である。先ほど述べたように、「女性限定公演」のアイディアの背景には、一部の迷惑な男性客への恐怖と不安があることは想像に難くない。しかし、こうした動機から「女性限定公演」を行うことは、排除の対象とされた男性を一括りに「怖い・汚い・危ない」存在として、レッテル貼りするものではないか、という点が問題になるであろう。

 もちろん、「女性限定公演」のアイディアの支持者も、全ての男性がそのような野蛮な存在であると主張するつもりはないはずである。むしろ、今回の議論の中では、「大部分の男性客は紳士的である」ことが繰り返し強調されている。この点を踏まえると、以上のような警戒を、過剰な反応(あるいは単なる「難癖」)として切り捨てる向きも理解できなくはない。

 しかし、迷惑客が含まれている可能性があるという理由で、「男性」を一括りに締め出してしまうことに対して、男性排除の印象を抱いてしまう者が少なからず存在することも、また理解は可能である。排除されるべきは、(性別を問わず)「迷惑客」という属性であるはずなのに、それが「男性」という変更の利かない自身の属性へとすり替えられることへの、「やるせなさ」や「くやしさ」が、「女性限定(専用)」という単語への感情的な反感を呼び起こしているように思われる。

 この点は、ストリップに限らず、例えば電車の女性専用車両などにも共通する問題であり、簡単に解決することは難しい。もっとも、今回の「女性限定公演」のアイディアは、決して、迷惑客の排除というネガティブな動機だけに支えられたものではない。むしろ、女性客だけの公演を行うことにより、女性ならではの楽しみ方ができるのではないか、というポジティブな理由が存在する。

 高崎さんも、今回のアイディアが出た理由として、迷惑行為の排除だけではなく、「共学もいいけど女子校と男子校もたのしいよね」という「第二の理由」が存在することを指摘している*4。男性と女性との間での「視点」や「感性」の違いは、間違いなく存在している。そうだとすれば、女性客だけの公演を行うことで、普段とは違った、新しい空間が生まれるかもしれない。その発見は、女性客だけではなく、ストリップ全体の発展や活性化にとってもプラスなものとなるだろう。

 冒頭に述べた通り、本記事は筆者の賛否を表明することを目的とするものではないが、仮に「女性限定公演」という構想を推し進めるのであれば、野蛮な(人が含まれている可能性のある)男性の排除というネガティブな理由づけではなく、女性ならではの新しい空間の創造というポジティブな理由づけを前面に押し出す方が、納得や共感を得られやすいのではないかと思われる。

5.おわりに

  ツイッターでも述べたように、この問題の難しさの一端は、「観劇に性別は関係ない」というそれ自体(少数の偏屈な差別主義者を除き)誰も争わない前提から、「だから女性も楽しめるような限定公演をしてよい」とする考え方と、「だから女性限定公演をする必要はない」とする考え方のいずれもが導ける点にある。

 したがって、形式的な男女の平等を訴えるだけでは、考え方の対立を解消することは困難であろう。そのような公演を行うことによる運営・収益への影響という現実面での検討に加えて、ストリップの未来の理想的なかたちを見据えた検討が不可欠であるように思われる。

 最後に、この有意義な議論に契機を与えた高崎美佳さんに最大限の敬意を表したい。現役の踊り子という(ある意味で弱い)立場にありながら、反発が予想されるナイーブなテーマについて、自ら積極的に問題を発信し、自身の考えを明確にすることは、相当の覚悟と勇気を要するものであると想像できる。今回のアイディアがどのような形で結実するかは分からないが、ストリップの理想的な未来に向けた一つの大きな「前進」となることを期待したい。

*1:高崎美佳さんの中の人「女性限定のストリップファンオフ会を主催して私が感じた事」(https://note.mu/mikatakasaki/n/n1ad222259a81)。

*2:https://twitter.com/LiLee_K/status/1097146053399175169

*3:もちろん、企業の目的が利益の追求である以上、現実面で「収益を見込める」以上は、常に実行に移すべきであるという立場もありうる。しかし、我々は通常、利益は見込めてもすべきでないことや、利益が見込めなくてもすべきことの存在を認めている。また、企業の目的が利益の追求に尽きるかどうかもそれ自体大きな論点である(企業の社会的責任に関する現代的展開として、松野弘『「企業と社会」論とは何か』(ミネルヴァ書房、2018年)を参照。)。その意味で、「ザイン(Sein)」と「ゾレン(Sollen)」の問題は区別しておく必要がある。

*4:前掲注(1)のリンクを参照。